許すこと ー イエスのたとえ話から学ぶこと

イエスが話したのは、王とある家来の精算の話しです。

1万タラントの負債とは

この家来は王に対して1万タラントの負債がありました。

1デナリが1日の労賃くらいとのことで、それを仮に1万円だとしますと、1タラントは6,000デナリだそうです。

1タラントは6,000万円ほどになります。さらにそれの1万倍ですから6000億円というとんでもない金額になります。

本人は「必ず返すのでお待ちください」とひれ伏して哀願しました。妻子や持ち物を売ったり、昼夜を問わず働いたくらいでどうにかなる金額では無いのはあきらかです。
王はそれを見てあわれに思い、何と全てを許してくれました!

100デナリの負債とは

赦された家来が外で出会ったのが、彼から100デナリの借金をしていた仲間でした。

この100デナリの借金をしていた人も、この僕と同様に「必ず返すのでお待ちください」とひれ伏して哀願したのですが、彼は許さず、獄に入れてしまいました。

100デナリは先ほどの例に当てはめると、100万円くらいになります。6000億円を許されたのに、この行動は誰もが納得いきません。

このことが王の耳にも入り、悲しんだ王はこの僕を投獄してしまったというお話しです。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたは人にしなさい。」マタイ7章12節
聖書の中でイエスが語ったこの言葉は、「黄金律」(The Golden Rule)と呼ばれています。聖書の中でも重要な教えとされています。

私たちが神から受けた大きな許しに感謝し、他の人を許す必要があることを示しています。
自分が許されたいと思うように、他の人を許すことが必要です。